どんな存在価値にも「差」はありません

こんにちは。
ヒーリングライフコーチ yukoです。

またまた 「日常の一コマ」

今日もいきますが
よろしいでしょうか?笑

ネタにされる人は
たまったもんじゃないな~きっと笑

でも それだけ 
日常的によくある話ということですし、

人様を通して 日々気づきがあって
それが成長に繋がるということですから

とてもありがたい事なのです。

人との関りって とても大切ですね。

良かったら参考にしてみてください。

例えば
こんなことはありませんか?

友達とか 同僚とか 先輩とか
もちろん 恋人であったり

どんな関係にせよ 

相手と時間を共有するにあたって

当日の相手の気分や都合で
予定が決まるとか

どっちかが相手のその日の都合次第で
合わせなきゃいけないとか

そんな経験はありませんか?

つまりは
その日の朝 自分がこれをしたいあれをしたいと
予定を考えていたとしても

相手が
「自分は今日がそういう気分だから今日にしよう」と言われて

自分の予定を覆してまで
相手に合わせるということですよね。

あるいは

いつ来るか分からない「その日」を
予定も入れずに待ってろと?

そういうことですよね。

最低限の礼儀として

100歩譲ったとしても笑
せめて前日じゃないですか?

主従関係なんですか?ってね苦笑

私は言いたい笑
言ってないんかい(;^ω^)

忙しいから? 
こっちの方が暇だから?

例えそうであったとしても 
そんなものは関係ありません。

いやいや 

それが主従関係で
例え相手が 師匠だったとしても

やむを得ない事情がない限り
私は断ります。

「今日 俺がそうしたい気分だから
お前も合わせろ」

そんな師匠だったら
私は迷うことなく 付いていきません笑

それこそ
以前の私だったら

自己犠牲の塊で
相手次第で 全てが決まっていました。

でももう 
そんな人生を選ぶつもりはありません。

もちろん
世の中にはいろんな考え方があるでしょう

少なからず 組織の中では
ある程度の自己犠牲は必要だと思います。

年齢もバラバラで
昭和、平成、令和世代と
物事の捉え方、価値観が大きく変わるわけですから

致し方ない部分もあるでしょうし

男尊女卑とか 年功序列とか
そういう風潮もまだまだ残っていると思います。

どれが良くて どれが悪いとか
そういうことでもありません。

ただ 言えるのは

どんな年齢であっても
立場の違いがあったとしても

人としての存在価値に
「差」はありません。

軽く扱われて良い存在なんて
一人もいないのです。

最低限守らなきゃいけない礼儀などは
当然あると思いますし

ある程度は
融通の利く方が合わせることは
良好な人間関係を築く上でも必要だと思います。

でも それは 
時と場合に寄りけりということであって
どちらかが一方的にということではありません。

会社であれば
上司だから有無を言わさず?とか

芸能人だったら
マネージャーとかお付きの人に対して
偉そうに振るまったりとか

よく 立派な人ほど腰が低いといいますが
私も その通りだと思っています。

立場がどうとかの前に 人としてどう有るかが
一番大切だと思うのです。

私は そういう人に対しては
必要以上に関わらないようにします。

相手の都合の良い様に扱われて
それでも 応えようとしている限りは

そういう人が集まってくるだけです。

それでもいいと 自分が思っているから
そういう現実が続くだけなのです。

話がどんどん大きくなっていってますが笑

つい熱くなってしまいました笑ペコリ

私が思うに

例え 子供であっても
必ず学ぶところはあると考えています。

大人が忘れてしまった大切な何かを
思い出させてくれたり

何にもとらわれる事無く
「自由にありのまま生きていいんだよ」

そんなことを 教えてくれたりもします。

存在そのものが
見習うべき「師」であったりするわけです。

だから当然 軽く扱うべきではないし

たとえ親であっても

まるで 自分の所有物の様に
扱っていいものではないはずです。

話が横道に反れまくりましたが
私の場合 よくある事ですので
ご了承ください笑

まとめとしては

自分のことを 自らが大切に扱うことで
同じ様な人が集まってきます。

自分を心から大切に扱っている人は
人の事も 同様に大切に扱ってくれるはず。

あなたの選択次第で人生が分かれるなら
あなたは どちらを選びますか?

本日もお読みいただき、ありがとうございました

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